道州制は日本を解体する!:佐野 雄二
企業の本・支店制を見習って、中央分権の道都庁制を!
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[1].道州制は日本を解体する!
企業の本店・支店制度を見習って、中央分権型の道都庁制を!

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行政改革の手段として、自民党の中で「道州制」の議論が進んでいます。
これは日本を9〜12ほどのブロックに分けて国の権限を大幅に移譲し、地方分権の受け皿にするというもので、小泉内閣の時に、「北海道を道州制の先行的モデル地区に!」という掛け声のもと、2006年12月に道州制特区推進法を成立、並行して「道州制推進本部(本部長:保利耕輔氏)」を発足させています。

先般、同本部が「道州制基本法案」の骨子をまとめました。それによれば、2016年にも、現行の都道府県を再編し、道州制へ移行することを明記。行政の基本単位である市町村については、原則として「人口30万人以上」とすることもうたいました。

一方、民主党も過去に「道州制の実現」を述べています。状況によっては、ごく近い将来、自公・民主の大連立で道州制実現の方向に進む可能性もあり得るので、この問題点を指摘させていただきます。

まず、認識として、これまでの明治以降の行政は中央集権的なものでした。それは、明治以降ならびに戦後においても日本の発展の原動力でしたが、同時に、東京一極集中と地方の衰退をもたらしました。

その反省を踏まえて、道州制推進論者は、地方経済を活性化するため日本全国を9〜12の地域に分けて、地域主権型の道州制を導入すべしと言います。

国は外交と防衛、司法と通貨管理など限定的な役割に限り、その他の生活に係るものは、すべて各地の道州自治体が行うものとします。

課税権・徴税権・税率決定権も分権化された道州が行使し、国は上納を受けるか、徴税する税を全く分けるかします。

合わせて全国を300〜1000程度の基礎自治体に再編し、国家公務員は半減させ、国会議員は衆院300名程度、参院120名に減少させよう―というものです。


格差拡大で倒産する道州も!
道州制を導入すると、企業誘致や住民サービスの競争が激化し、各地域間の格差は拡大します。中には夕張市のように経営が上手くいかず、倒産する道州も出てきますが、その場合、どこが面倒を見るのでしょうか?

その時は「国が面倒を見てくれ」と言うのでは、初めから、地方分権に限界を設けなければなりません。各地の道州は自由気ままに行動するが、その結果のツケは国に回すと言うのなら、国が十分な税財源は持っていないと、救済の原資が無くなってしまいます。それを考えると、道州への大胆な税財源の移譲はできません。

 また、2009年初頭の「年越し派遣村」は、1月5日朝までは厚労省の講堂を臨時宿泊所として借りましたが、それ以降は都知事や中央区長に空き施設の提供を懇請せざるを得ませんでした。国が施設を持っていないためで、道州制が実施されれば、「他の道州で発生した失業者だからウチは関係ない」とか、「国の頼み方が悪い」と言って、各道州が国の依頼を拒否するケースが考えられます。何故なら道州制を敷いた場合、各道州が重要施設を所有し、かつ、税源も移譲するため、国には権限も施設もほとんど残らないからです。国民が不幸に陥っているのに国が何も出来ないのでは、事実上、国家機能の喪失と言ってよいでしょう。


全国300〜1000の自治体への再編も日本文化を破壊
道州制と合わせて、全国を300の基礎自治体に再編する(内閣官房・道州制ビジョン懇談会座長 江口克彦氏)と言いますが、これも多いに問題です。

総務省は、これまで合併を進めてきて、平成11年に3232あった市町村は1773まで減りました。
合併により、職員数削減による効率化は見られましたが、財政状況が悪い自治体同士による合併や、合併特例債の「ばらまき」で財政がさらに悪化したり、都道府県並みの面積の自治体が増え、周辺地域の衰退や公共サービスの低下を招くなどの弊害も見えてきました。
 
実際、大分県の聞き取り調査では「住民検診の実施個所が統合されて不便になった」、「道路の整備がおくれるようになった」、「職員や役場の注文がなくなり、売上が減った」などの弊害が寄せられています(毎日新聞、20.11.18より)。

それを受けて総務省は、人口5万〜10万人程度の「中心市」と周辺町村が連携する「定住自立圏構想」を進めれば、合併せずとも市町村の体力を高められるという見通しが出来たことから、1773まで減ったところで合併打ち止めとしました。

道州制と並行して、基礎自治体を300〜1000に減らすという発想は、行政コストの効率化による削減を根拠としていますが、それによって地域の公共サービスの低下を招くだけでなく、名称変更などで、地方の文化の連続性を断つことになります。地域主権と言いながら地方の文化の連続性を破壊する結果となりますから、全国300〜1000の自治体に再編するというのは、多いに問題があると言えましょう。この問題は後にも述べます。


道州制による地方分権は、江戸時代への逆行
課税権・徴税権を道州に完全移行すれば、各道州ごとに税率や税目、法律が異なり、対応する企業の事務は極めて煩雑となります。

歴史を見れば、日本の江戸時代は地方分権でした。各藩が課税権や徴税権を行使し、藩札も発行するなど、各藩の自由裁量は大幅でありました。それでは効率ある資本主義が発達しないということで、明治政府は全国一律の中央集権的な国家を築きあげたわけです。

今、中央集権がだめだからと言って、すぐにまた地方分権というのは江戸時代への逆行です。中央集権の弊害が大きくなったからといって地方分権しか選択肢がないと言うのでは、あまりにも知恵がありません。


地方議会はオール与党化で道州知事に強大な権限
道州制を敷くと、そのトップたる道州知事に強大な権限が集まることも問題です。道州制を主張する政治家に「県知事や、その経験者が多い」というのは一つの特徴です。確かに、予算をもらう側がヒモ付きを嫌って自由に使えるお金を好む、というのは当然です。

だが、今でさえ強大な権限を有する県知事が、道州制で、さらに肥大化するとどうなるか。議会がチェックするといっても、これまでのオール与党化した地方議会を見れば、空論に近いと言えます。

最近の事件をみれば、2003年7月の土屋義彦埼玉県知事による政治資金規正法違反事件、2006年9月の佐藤栄佐久福島県知事の談合事件、同11月の木村良樹和歌山県知事談合事件、その他、茨木県、宮城県、秋田県、徳島県など、公共工事にからむ県知事の不正関与は枚挙にいとまがありません。

これらは地方で強大な権力をもつ県知事を、議会がほとんど監視できないことの証明です。それが道州制でさらに強化されたらどうなるか?

道州議会のみならず、国でさえも道州知事を制御できない事態になりかねません。税源移譲で独自の豊かな財源を持つために、逆に国への上納を拒否したり、道州の独立を叫ぶということも予想されます。


道州制は日本国を解体
さらに言えば、この道州制は,事実上、日本国を解体させるものとなります。なぜなら日本を各道州に分割すれば、各地域益が異なり、結果として外交は道州ごとに異なってきます。外交が異なれば防衛の方向も異なるのが当然で、結果、一元的な外交や防衛策は困難となります。

具体例を見てみましょう。道州制が実施されれば、たとえば九州はこれまでの歴史的付き合いの古さから、韓国や中国と友好関係を推進し、将来的には安全保障条約も彼らと結ぼうとするでしょう。その方が自らの軍事的安全を確保できるからであります。

また新潟は朝鮮半島が近いから、やはり南北朝鮮と友好推進、安保条約を結ぼうとします。その方が、拉致や砲撃の危険を回避して、自分たちの安全を確保できるからであります。


さらに北海道はロシアと友好推進・安保条約を結ぼうとするかも知れません。ロシアによる漁船拿捕の危険性を回避して、漁業を安全に営むためであります。

このように各道州の地域益が異なるために、一元的な外交や防衛は困難となります。それを力で抑えつけようとすれば、各道州は独自の税源を持ち、力をつけているだけに、各道州独立となり兼ねません。それは日本国の解体を意味します。


道州制は多国籍化した大企業本位の制度
 以上のような欠点を持つ道州制ですが、何故、自民党や財界に根強い支持者がいるかというと、多国籍化した企業には良い制度だからです。

キャノンやトヨタ、ソニーなど多国籍化した大企業は、各国を競わせて人件費や法人税の最も安くて済む国に工場を移転します。

それと同じ様に日本国を分割して各道州に競わせれば、大企業は人件費と税が安く、低コストで優遇措置の多い地域に移転することができます。製造業派遣を認めない州があれば、認める州に移転すると圧力をかけます。

道州知事さえも、政治献金と従業員の票で自由に操れます。従業員2万人もいる企業から、「ウチは家族や親戚、下請けで20万票はある。票と資金で貴方の面倒を見る。ダメなら他の候補を応援する」と言われれば、どんな道州知事も、その大企業の言うことを聞くでしょう。それゆえ、道州制による最大のメリットは大企業が手にします。


道州制は「1国12制度」をつくるとも言われますが、大企業中心の新自由主義者・グローバリストにとって「地域間競争」をさせ、企業利益を最大にできる制度であると言えます。

道州制論者は、押しなべて国会議員定数の削減を言っていますが、削減すれば「更なる官僚支配」を許すだけでなく、財界が金と票で政治家をコントロールし易いからだということを知る必要があります。


[2].企業を見習って、中央分権型の道都庁制を!
では、どうすれば良いのかというと、中央集権と地方分権の間に「中央分権」があります。その例として、大企業の組織を見ると良いでしょう。大企業は全国規模の運営をするに、本店と支店に分け、地方の支店はある程度の裁量を任される一方、重要なことは本店が決定します。

これは中央集権と地方分権の、統一性と多様性を考えた「中央分権型」の知恵あるシステムであり、国も見習うべきであります。

多様性だけがあって統一性のない共同体組織、統一性だけが強調され、多様性に対応できない組織は、いずれもが矛盾を抱え、長く存続できないことを民間企業ではすでに体得しています。

 これを知れば、地方に設置するのは「別会社・関連会社としての道州」ではなく、本店機能を一部分割した、「国の支店としての道都庁」を置くのが正しい選択だと言えます。つまり現在の地方自治体としての都道府県を廃止し、地方には分権化された国の機関としての道都庁を置くことになります。


道都庁制の概要
共同体の組織は人体のようでなければ上手くいかない。これは真理です。その言葉にしたがうと、人の脳は大きく右脳と左脳に分かれ、内省と外交を分担します。同じように国家も大きく内政省と外政省に分け、内政省の中に経済産業、厚生、文部、国土、交通などの各部局を置きます。

現在はこれらは別々の省ですが、都道府県は廃止され、地方の道都庁に大幅に権限と人員を移転しますので、中央の組織は相当スリムになります。

ちなみに戦前の内務省は強大な権限を持ち、戦後、自治省や厚生省、警察庁に分割されました。実力組織たる警察や高度に専門的な部署を分離すれば、戦前のような懸念は起きないでしょう。以下に詳細を述べます。


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⑴ 国の「第3の眼」たる未来環境平和研究所
人間には「真理を見通す第3の眼」があります。人の第3の眼が物事の背景を見通し、未来を洞察するように、国家にも国営のシンクタンクを設置して、これを第3の眼とします。これまでの政府組織に特に欠けているのは、この「第3の眼」に相当する機関です。

かっては経済企画庁が国の未来予測をしていましたが、経済予測に限定していただけでなく、晩年は大蔵省の税収確保の要請に見合った経済予測をするという、まことに本末転倒したものでした。

新たなる国営のシンクタンクは「未来環境平和研究所」と命名して、環境問題や雇用、産業や食糧、エネルギーなどの未来予測、国の内外の不安定要因の分析と警告を幅広く行います。
特定の権限や実行部隊を持たない、純粋な分析研究と予測の機能に限りますが、現代国家を構築する上で、極めて重要な組織と言えます。


⑵ スリム化して内政省
内政省については、地方の各道都庁に大半の国の人員や権限が分割されるだけでなく、これまで本省に属していた厚労省・医薬食品局(旧薬務局)、総務省の情報通信部門、科学技術庁(現文科省)、などは別組織とします。これらは高度に専門的で独自の知識と経験の集積を必要とするため、独立した組織として責任を明確化した方が、目的達成が容易と考えます。
 
また、現在は経産省にある貿易経済協力局などは、後述する理由から外政省に移管すべきと考えますので、相当にスリム化し、この点からも内政省肥大化の懸念はほとんどないと言えます。

「内政省・外政省方式」の採用により、これまで「局あって省なし、省あって国なし」とうたわれた官僚の省利省益的行動はほぼ無くなります。

 
⑶ 独自の専門知識を要する業務は独立の省庁へ!
もちろん、内政省には含まれない、独立の省庁もいくつかは必要です。まず、法務省、検察庁は3権分立の司法に係わることですから、現行と変わりません。

農林水産省と労働省(移行後、労働庁)は、独自の専門知識と経験の蓄積を必要とするので独立組織が良いでしょう。

大蔵省は、外政省や内政省、その他の省庁の予算配分をするわけですから、依然として独立した組織が理想です。名前は、平安時代以来、継続してきた名称に敬意を表し、「大蔵省」に復活させます。組織の伝統と誇り、仕事をする上でのプライドは、名称の継続によっても維持されます。


悪名高き社会保険庁は、保険料の徴収部門を国税庁に移管し、預かり資金の運用・支払い業務に特化します。これは各道都庁の中に設けることも可能ですが、その一貫した管理責任を明確にするために、独立した庁とするのが良いでしょう。

国税庁は、税務調査の際に必ず給与の源泉税もチェックしますから社会保険の徴収に何の支障もありませんし、強制力が強く、滞納率は大幅に下がること請け合いです。


その他、新設の庁は薬務庁、情報通信庁(放送行政・郵政を含む)、科学技術庁、消費者庁で、これらは高度に専門的で独自の知識と経験の蓄積を要するため、人事異動を内部のみとするよう独立した庁とします。

資源エネルギー庁は環境省と合併させて、「資源環境エネルギー省」とします。これは、資源エネルギー問題が廃棄物処理や環境問題と密接不可分のため、一つの省とすることが適切と考えるからです。なお、この組織を「省」とするのは、その問題の国家的重要性を考慮するためであります。


⑷ 中央分権としての道都庁で、行政の二層化
各地方には国の分権機関としての道都庁を置き、県は廃止されます。これにより「国・県・市町村」といった三重行政はなくなり、行政は「国と市町村の2層」になります。

これまでは、住民に一番近い市町村が何かをやろうとしても、県がこれを承認しないということが多々ありました。それが簡素化され、行政の風通しが良くなり、真の住民自治の実現が容易となります。
また、これまでの道州制の論義で、東京都に税収が集中し過ぎて、分権化すると他の道州に税収が配分できなくなるという問題がありました。道都庁制の場合、東京都が国の分権機関の一つとなるわけですから、税収の不均衡は自動的に解決します。

図に示す各道都庁案は、現在の衆議員の比例ブロック11に、沖縄庁を独立させたものです。
沖縄は、琉球王朝時代から本州・九州とは相対的に独自の歴史を持ってきただけでなく、戦後の一時期はアメリカの領土となってきました。現在でも在日米軍の大半が設置されるなど、日本の中でも特殊な歴史を歩んできました。

この地域を独立した庁とするのは、その歴史的独自性と、過去に負ってきた負の側面に対する謝意に鑑みてのものであります。

なお、東京都のみ「都」としたのは、天皇家の住まう地という意味を込めています。
これら12の各ブロックに、大半の国内行政は移管されますから、各地方に政治の拠点が設けられ、大幅に活性化します。

各業務のどこまでを道都庁に移すかは、業務に即して個々に検討されますが、いずれも国の機関ですから、各地方の経済格差を埋めるために基準財政需要額に満たない地方には、一括交付金などで配慮が為されます。

道州制では、各道州の経済格差を埋めることは困難で、逆にそのことが競争を促進する活力と捉えますので、将来、夕張市のように倒産する州が出て住民が被害を受けても救済は困難ですが、道都庁制では、こうした心配は不要です。

また、各道都庁の行政職員は国家公務員であり、大臣は、当然、衆参の国会議員です。予算は国=道都庁全体の予算案が審議の対象であり、国会で制定された法律は、特に地域を限定しない限り、全国に及びます。

もちろん地域限定の法律や税は、各道庁の意向を尊重しながらも国会での議決を経ることになります。したがって地域限定の行政は、主に通達で為すことにすればよいでしょう。税制では標準税率と違う税率は、制限税率の範囲内で、各道都庁の大臣決定で行えば良いでしょう。


⑸ 各道庁の監理委員会に地域選出の国会議員と市町村長を!
道都庁制を導入すれば、県は無くなりますから、自動的に全国で2874名いる都道府県会議員は不要となります。従って彼らは拡大される衆院選挙に打って出るか、市町村議員を目指すことになります。行政は基礎自治体たる市町村と、国との2層になるのだから当然です。

ただし、それでは各都道庁の運営を直接監視し、民意を反映できる制度がないという懸念が生じます。それに対しては、各道都庁の長官は、ブロック選出の国会議員がなることと、もう一つ、ブロック選出の国会議員と域内の市町村長でブロック監理委員会をつくり、そこに行政監視と民意反映の機能を持たせます。

いわばミニ議会的な役割を果たすもので、決定権はありませんが、質問権、説明・調査請求権、陳情・請願取次権などを認め、より、住民意思を反映した道都庁の運営ができるようにします。


⑹ 平和庁を傘下の外政省
外政省による外交の従来と大きく違う所は、平和庁を新設し、傘下に収めます。平和庁は途上国への経済援助やインフラ整備の支援、災害などによる人道支援、各種NGOや平和活動への支援を業務とします。この機関を新設することは、これまで以上に平和外交を基軸に据えることを意味します。
独立国である日本は、今後、日米安保の大幅縮小の方向に向かうべきと考えます。それは同時に、独自の平和外交を進める意思表示でもありますが、その時、平和庁の役割は重要です。

中国や韓国との領土問題も、平和外交先行で議論されれば、解決の方途は見えてくるでしょう。軍事力を背景に交渉しよう、時には経済封鎖も辞せずというのでは対立は深まります。


また、これまで経産省下にあった貿易部門を傘下に移します。この移動は、これまでの経産省主導下の「輸出超過型経済」から、「輸出入バランス型経済」への転換を目指す意味もあります。

防衛省は文民統制の本来の趣旨からすると外政省の傘下に入るべきですが、これまでの経緯並びに軍事力が外交交渉に顔を出すことのマイナス面を考慮し、従来通り、独立した組織とします。


⑺ 行政検査院
これは現在の会計検査院です。会計検査院では、文字通り「会計検査」だけしか行われませんが、それでは不充分です。行政全般の恒常的なチェックが必要とされているため、名称を「行政検査院」として、業務と権限の大幅なレベルアップを図ります。

かって民主党はアメリカの会計検査院にならって、国会所属の行政監視院を創設すべしとしました。しかし国会に所属すれば、議員の干渉を大いに受けます。中には「その問題には触れないでほしい」というような悪い干渉もあるわけで、国会には検査結果の報告だけで良いでしょう。今は内閣だけへの報告ですから、公平ではありません。

つまり、この機関は国会からも独立して組織し、行政への不服や苦情処理を受け付けるようにします。

厚生年金のデータ喪失や記録改ざんも、もし、政治家ルート以外に行政検査院で不服を受け付け、必要とあらば検査を実行するというシステムになっていれば、被害や不正は最小限で済んでいたでしょう。

三権の中でも肥大化しやすい行政のチェックや税金のムダ使いの指摘は、国会議員だけでは足りません。また、悪質で不正な手口は専門化しやすいですから、常設のチェック機関が必要です。

この機関の充実で国会議員は行政のムダを指摘する役割と労力を半減させ、もっと大局的見地から必要とされる政治活動に専心することが可能となります。


⑻ 警察・検察監視委員会
これは警察や検察による悪質な国策捜査や冤罪事件の発生を防ぐための機関です。冤罪は、無実の人を長期間拘束して、その人の一生を台無しにします。また、権力者の仲間に警察や検察の捜査が及んだ時には圧力をかけて、捜査を思いとどまらせたりします。そうした事件や不当な捜査介入がないよう監視するのがこの機関です。


ある大学教授は、のぞきと痴漢容疑で2度逮捕され、33日間、132日間と驚くべき期間、勾留されました。

元早大教授の植草一秀氏ですが、彼が逮捕・拘留される過程は警察権力の横暴の度を超えています。何故なら、2004年の一度目の逮捕の時、神奈川県警は植草教授を3人で2時間近くも尾行した後、管轄外の品川駅で、「エスカレーターの上の段の女子高生に対し、のぞきがあった」として逮捕しています。ポケットに手鏡を持っていたことが決め手の逮捕で、逮捕直後の会話で「・・前に神奈川で事件を起こしていますね」と話しています。

これでは、当時、彼が小泉政権下の竹中平蔵氏による金融行政や埼玉りそな銀行への処理を批判していたため、かっての事件を利用して、意図的に植草氏を陥れるために尾行し、機を見て逮捕したと言われてもやむを得ないでしょう。

神奈川県警が3人で2時間近くも尾行して、管轄外の品川駅での逮捕ですから、警察権力の執念を感じます。

二度目の逮捕の時はもっと悲惨で、被害者が「この人、痴漢です」と声を出したら、いきなり二人の男に両脇を頑強に固められ、無言のまま駅員に引き渡され、二人の男の顔も被害者をも見ることも出来ないまま、逮捕・拘留されたと言います。

裁判で唯一、物証とされた「被害者の女性の服の繊維」が植草氏の手に付着していたという問題は、鑑定で、「駅員ともみ合った際に、駅員の上着の繊維が付着した模様」と認定されました。つまり物証は明らかに推定無罪なのに、有罪となったわけです。


痴漢という犯罪は、明瞭な場合を除き、ほとんどが混雑した車内で、触れたか触れないかという程度の事件です。だから混雑した車内で、前に立っていた女性が示談金目的で、「この男は痴漢だ!」と叫べば冤罪による逮捕が可能で、「痴漢冤罪事件」という言葉があるくらいです。

逮捕後、警察に長期間拘留され、実刑を示唆されれば、誰でも、開放されたくて、やっていなくとも「やったことにする」と認めてしまいます。これで完璧な有罪判決ですが、植草事件はこうしたケースに近いと言えます。実際、彼は、取り調べ中、「犯罪を認めなければ、家庭をメチャクチャにしてやる」と検察からも脅されたと言います。


また2008年10月には、「62億円の麻生太郎邸を見学しよう!」と渋谷駅に集まった若者達が、プラカードを掲げてマイク放送し、振り返った瞬間、歩いている人(私服警官だった!)の肩に腕が当たりました。すると、他の私服警官が、すぐに「公妨だ!公妨だ!」と叫んで、公務執行妨害罪で3名を逮捕しました。まだ渋谷駅で、これから仲間と歩いて行こうかという所での逮捕です。

彼らは12日間も勾留されましたが、亀井静香議員、鈴木宗男議員らの尽力がなかったら、もっと長期に勾留されていたでしょう。これらは明らかに警察権力の横暴です。


日本の刑事事件の有罪率は99.9%です。被告人が否認する事件でも97%が有罪です。イギリスでの否認事件の有罪率は約50%であることを考えると、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事事件の理念が空虚に聞こえます。

司法の3審制が全く抑止力になっていないわけで、国家公安委員会は警察権力への監視機関としては何ら機能していませんし、検察審査会も、不起訴処分の妥当性のみの審査ですから、中途半端です。

冤罪や警察権力の横暴を防ぐために、警察・検察監視委員会をつくって、警察や検察による取り調べ状況の「録画=可視化」が必要です。

その他、冤罪を防止するには、被疑者の署名や指印のない警察官の一方的な供述に証拠能力を認めないこと―なども必要です。こうしたことが「言論者を弾圧せず、真の平和維持に邁進し、市民に信頼される警察権力」をつくります。


⑼ 天才は田舎で育つ、小規模自治体を大切に!
話を戻して、道都庁制の導入に当たり、市町村の基礎自治体は、できるだけ「小を生かす」方向で対処します。小規模過ぎて中学校も持てないような自治体(人口8000〜10000人未満)のみ、合併を進めればよいでしょう。

『国家の品格』を書いた藤原正彦氏によれば、「天才は田舎に育つ」と言います。また、古代ギリシアで栄えた都市国家は、人口数千人の規模から国家を構えて、数多くの偉人を排出しました。

日本の歴史を振り返っても、江戸時代に280前後あった「藩」は、当時の人口3000万人として、平均10万人超ですが、数では、人口5万人(5万石相当)未満の藩が全体の64%(177藩)、1万人(1万石相当)ほどの藩が51藩(18.5%)もありました。それで治安を維持し、充分な藩運営が出来ていたことを考えると、行政の区割りは効率性だけでなく、地域の独自性・歴史性を考慮して、できるだけ「小を生かす」方向でなされるべきと考えます。


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なぜなら住民自治の理想は「参加型の自治」であり、集団の規模が小さいほど、これを実現しやすいからです。たしかに人口10〜30万人の規模にすれば一人当たりの行政コストは最も低下するでしょうが、それでは画一的な自治しか育ちません。

都市が大規模化すれば人口1人当たりの公園面積は明らかに下がり、子供達にとって良い環境ではありません。また、日本は古来から農耕民族で、農耕文化を保持してきましたが、その前提である農地も大都市化すれば、大幅に減少します。

行政コストが最もかかるのは、24時間連続運転のごみ焼却炉の維持や介護保険サービスの維持、救急対応の大病院などであり、それらを共同経営でコスト低減できるなら、必要人口はもっと下がります。


人類は外見的には猿から進化したわけですから、森の中で生まれました。現在でも、森林には人に対する癒し効果があるのはそのためでしょう。松、ヒノキなどの針葉樹にあるフィトンチッドは免疫力向上効果がありますし、最近では、2泊3日の森林浴によって、人体のNK細胞(ナチュラルキラー細胞:がん細胞やウイルス感染細胞を殺す)が5割以上も活性化し、その効果が1ヶ月以上も持続することが明らかになっています。

人間が吸う酸素をつくるのも森の役割であることを考えると、豊かな自然環境は、人類の存続と健康維持に欠かせない役割を持っています。

人口の少ない村には豊かな自然環境が残っており、それ自体、貴重な資源です。多少、行政コストがかかっても、その4〜5割は人件費ですから、それを維持すること自体が村の雇用と内需を支える公共事業です。

都市化すれば、明らかに森や農地は減るわけで、小規模自治体の維持が、日本の住環境と食糧維持、日本文化の維持に必要です。


⑽ 全体として2〜3割のコスト削減を!
本稿の行政大改革を実行するに当たって、官僚などの焼け太りを許さないためには、人員・予算面での、トータルな監視が必要です。

具体的には、現状の国と都道府県に係わる総予算を出し、道都庁制移行後の経常経費の総予算が、2〜3割は減少するように監視します。独立行政法人設立などがあったとしても、それを含めての削減であることが重要で、官僚の焼け太りを許してはなりません。

とは言っても行政コストの5割弱は人件費ですから、一気に雇用喪失とならないよう、余剰となった人員を、一時的に農業要員に振り向けるなどの方策は必要です。

現在の日本の食料自給率はカロリーベースで4割を切っており、とても先進国の自立した国家と言えません。これまでの減反政策と後継者不足で、耕作放棄地と休耕田を合わせた面積は東京都の3倍近くに達しており、ここで飼料用の作物などを作れば、一気に自給率を高めます。職員が定年退職する都度、民間にバトンタッチしていけば一石二丁でしょう。

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本稿へのご意見は、e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp へ

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テーマ:政治・地方自治・選挙 - ジャンル:政治・経済

【3大政党制を目指した選挙制度について】
別稿の「中央分権型の道都庁制」の導入により、国会議員の定数や選挙制度は当然に変わってきます。何故なら、制度の導入により、地方に設置される都道庁は国の機関であるため、これまでの都道府県会議員は不要になるからです。

現行の都道府県会議員は全国で2874名、これがゼロになるのですから、その受け皿としての意味や、新設される道都庁の監視もあって国会議員の拡充は必要となります。これまでは東京でだけ国政を監視していた国会議員が、今度は首都と地方に、監視と指導の眼を向けなければならないからです。

そうした理由から道都庁制の導入後は、衆議員議員の定数を700名ほどに増やす案が考えられます。700名の根拠は、ドイツの比例代表「併用」制を参考にして選挙区300から2名ずつを選出、別に約100名分を比例代表で選出する考えです。


1.なぜ、小選挙区制ではダメなのか?
比例代表「併用」制の前堤として、まず選挙区300から2名ずつ選出することにつき、説明しておきます。

現行の小選挙区比例代表並立制は、300の小選挙区から1人のみが当選します。この制度は、それまでの中選挙区制が、お金がかかり過ぎることを反省して、導入されました。しかし、その制度の元で何度か選挙をして、数多くの致命的欠点が明らかになっています。それを挙げますと、

(1)小選挙区制では政治家は、党中央に対してイエスマンとなりがちです。何故なら、懸命に勉強した結果、党中央と違った意見を主張すれば、現職でも公認を外されるだけでなく、刺客を送られかねないためです。

また、選挙区で絶えず一位でないと当選できないため、マスコミ受けのする政治家が公認されがちで、テレビなどで顔の売れたミーハー新人が当選する一方、ベテランの大物議員が続々落選するという事態が生じます。

結果、誰もが国益よりは党中央に従順で、大衆受けのする政治家を目指し、小物化しますが、これらは小選挙区制の著しい弊害です。


(2)小選挙区制は、「首相を選ぶ選挙」とも言われます。この功罪の罪は大きく、党代表の人気度が、本人の努力以上に影響するために、候補者がいくら地道な活動を展開しても無駄となりがちです。結果、候補者は、党代表の人気度や幹部の言動に一喜一憂し、地に足のついた政治活動が軽視されることになります。  

 また、首相を選ぶ場合も「見映えが良いか、選挙に勝てるか」だけが重要視され、人格や見識、胆力や実行力が総理にふさわしいかなどの点は忘れ去られます。


(3)小選挙区制の下では、政権交代が行われやすいという点が長所とされてきましたが、逆に、わずかの得票差で議席数が大きく変わり、民意を正確に反映しないことが問題となっています。2%得票率がずれると、2の3乗の8%の議席が動くため、イギリスでは「3乗比の法則」と言う言葉があるほどです。

日本でも、小泉政権下、2005年の総選挙では、選挙区で自民党は48%の得票で73%(219)の議席を獲得しました。逆に民主党は36%の得票率で、率からすると108議席与えられても良いはずなのに、半分以下の52議席でした。共産党は7%の得票率で、21議席分の率ですが、実際はゼロ議席に終わりました。

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この制度では、投票率を55%として,得票率40%もあれば多数派を形成できますが、実に、有権者の22%(55%×40%)の支持しか得ていないのに、最大多数派を形成して、全体の決定権を握ります。死に票が多く、とても国民の多数が支持したとは言い難い数字ですが、小選挙区制では圧勝となって、政権与党となります。


(4)2大政党制は誤り、日本は3大政党制が合う
このように小選挙区制は、わずかな得票差で大幅な議席差となり、民意を正確には反映しませんが、これを肯定する人は、2大政党制が良いという考えです。ですが、2大政党制は現代の多様化した価値観に合致せず、あまりにも国民の選択の幅を狭めています。

2大政党制は2元論的世界観が支配し、絶えずコインの裏表で勝負する欧米では合致しても、中庸を尊ぶ日本では、中庸が選択できないため適合しないシステムです。

日本では勝負ごともジャンケンのように、3つの強弱を組み合わせて勝ち負けを決めます。そういう意味では3元論で、政党で言えば3大政党制がこれに当たります。

実際、小選挙区制では、互いに1議席を目指して争わなければならない。政党間で連立や妥協ができるなら政権交代は不要となるために、必要な妥協が出来ない。これらの点から小選挙区制では非妥協型・対立型の政治となります。結果として小選挙区制では、選挙や政局のための政治ばかりが横行し、国益を考えて大同団結するといった本来の政治活動が忘れられます。

もちろん、時には政権交代は必要です。しかし、選挙の度に政権交代する可能性のある制度も考えもので、もし、そうなれば、朝令暮改国家となりかねません。2大政党制は、その危険性を絶えず秘めています。


(5)では、かっての中選挙区制が良いかというと、全国130選挙区ほどに分けて、一区から3〜5人当選する中選挙区制では、選挙区が広すぎ、ほとんどは2世か官僚出身、宗教政党か組織政党しか当選できません。新人・中堅は政治活動の大半を、広域な選挙活動と後援会維持のための資金獲得にとられるから、これも破棄すべき制度であると言えます。


(6)以上の点から選挙区は小さめで、2人ずつが当選する、1選挙区2人制が理想です。一つの選挙区から2名ずつ当選することが3大政党制をつくり易いためと、選挙区が小さい方が後援会維持の負担が少ないため、本来の政治活動に専念しやすいためです。これを準小選挙区2人制と名付けて、基礎とします。


2.ドイツの小選挙区比例代表併用制
 日本では、「中庸を選択できる3大政党制」が国民文化に合いますが、それを前提に、各人は2票を持ち、基本的に議席は比例代表の得票をもとに各党に配分されるドイツの比例代表「併用」制を参考にして選出する、「準小選挙区比例代表併用制」を紹介します。以下は『小選挙区制NO!』(小選挙区制廃止を目指す連絡会編)よりの抜粋です。


 現在のドイツの国会は2院制で、日本の衆議員に当たる連邦議会の定数656のうち、約半分の326が、各州の人口に応じて割り当てられて区割りされ、残りの330議席は、全国を1区とする比例区です。

 有権者による投票は、日本の小選挙区比例代表「並立」制と同じく、1人2票制ですが、各党の比例区における政党別の得票率に応じて、全体の議席数を先ず決める、という点が異なります。

 小選挙区で1位となった候補者は当選となりますが、比例区の政党別得票にもとづいて決定された議席数と、当該政党の小選挙区当選者数の差のみ、比例区の候補者が、名簿の上位から当選します。

もしその政党の小選挙区での当選者数が、比例区全体の得票率による議席より多ければ、その政党の比例区当選者はゼロになります。ドイツの総選挙ではまれに起きる現象で、その際は、連邦議会の議員数が、法定数を超えることになります。

ドイツでは、小党乱立を避けるため、比例区で得票率5%未満の政党には議席が与えられていません(日本の参院比例区では、この数値は3%)が、得票数に応じた民意の正確な反映という点では、全国1区の比例代表制とほぼ同じ効果があります。つまり、見かけ上は小選挙区制と比例代表制が共存している点で、日本の並立制に類似していても、内容は相当に異なるわけです。


日本の衆議員の制度は比例代表並立制で、選挙区300、比例代表180が全く別に選挙されます。(重複立候補は可能ですが)比例区で得た得票率で全体の議席数を決める、というわけではありませんから、比例代表の効果はあまり大きくありません。そのため、単純小選挙区制に近い選挙結果となっています。

一方、ドイツ型の「比例代表併用制」によれば、自民・民主とも得票率から見て、法外に多い議席が無くなる反面、不当に低い議席になるという恐れもなくなります。合わせて国民新党、公明党、社民、共産、新党大地なども、議席を大幅に伸ばすことができるのです。


3.小選挙区2人:比例代表併用制のススメ
結論として全体を700、そのうち選挙区を全国300として2名ずつを選出し、残りの約100名分を比例代表「併用制」を参考にして選出する、小選挙区2人:比例代表併用制の制度をお勧めします。

衆議員の拡大は、道都庁制の導入により都道府県会議員がいなくなるために必要なことですが、その特徴や当選者の計算例を示しますと、投票は一人2票制で行い、1票は選挙区の候補者に投じ、1票は比例代表で、比例区の政党名を書きます。

比例区は、現在は11のブロックに分割されており、これを全国一区にせよとの意見もあります。死に票が無くなり、小政党が議席を得やすいという点では大いに検討すべきすが、道都庁制の地域割との関係もあり、この辺は、国会で充分討議していただければよいでしょう。


さて当選者の数は、比例代表での政党票を優先して決定します。この場合、選挙区での当選者は当然、当選で、全体の700から選挙区での政党当選者の数を差し引いた残りを、比例代表の政党得票数に割り当てます。

話を分かりやすくするために、全国1区の比例代表併用制の例で示しますと、A党〜E党の5党があり、全300選挙区での当選者数がA党290人、B党170人、C党138人、D党2人(計600)で、他の党はゼロだったとします。

一方、比例代表での得票は、A党40%、B党30%、C党20%、D党7%、E党3%とします。これを700名の総定数に按分し、出た数字から選挙区での各党の当選者数を引いた数字が、各党の比例区での当選者数です。

ドイツでは小党乱立を避けるため、比例区で得票率5%未満の政党には議席が与えられていません。日本でも参議院比例区では3%未満の政党はカットされます。これらを参考に多少の足切りをすれば、小党乱立の弊害は避けられます。

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4.経過措置:選挙区215×2、比例代表併用制50名(計480)
 長期的には、上記のように「小選挙区2人:比例代表併用制(計700)」を想定しますが、それは道都庁制の導入により県会議員がゼロになった時の話です。

現行の小選挙区比例代表並立制は、2大政党制を志向するあまり、選挙のための政治ばかりで必要な妥協が出来ない、妥協できるなら政権交代は要らないということで、国益にかかわらず非妥協・対立型の政治となります。これは致命的な欠陥で、一刻も早く破棄すべき制度と言えますが、道都庁制を導入するまでの経過措置として、別の選挙制度が必要です。


これについては「選挙区215×2名、比例代表併用50名の、計480名」の制度をお勧めします。こうすれば、現在の数の範囲内で、小選挙区と中選挙区の両方の弊害を考慮した選挙制度が実現できます。ひとつの選挙区は、現在よりも広くなりますが、中選挙区の時代よりは狭いため、2世や組織政党でなければ当選できないという弊害は緩和されます。 

小政党の存在意義を積極的に認め、現行の定数内で事実上の3大政党制を実現する経過措置として、上記の比例代表併用制がお勧めです。

 
5.小政党の存在意義
最後に「小政党の存在意義」を述べておきます。この間の小選挙区比例代表並立制の中で生き残ってきた小政党を見ると、国民新党、社民党、共産党、新党大地と、どの政党も、自民・民主の2大政党ではカバーできない存在価値を示してきました。

その詳細は紙面の都合上、省きますが、これらの小政党が示してきた活躍ぶりを見ると、基本的には3大政党制を志向しつつも、一定の得票率を獲得する小政党が生き残れる選挙制度が、長い目で見て日本全体の国益にかなうという推定が働きます。

2大政党、3大政党と言っても、上位の2政党、3政党が、絶えず国益にかなう政治を継続するとは限りません。その点でも国会内に、別の競争者であり、かつ大政党の監視者である第4、第5の政党があるというのは、健全な民主主義の発展にかなうものであります。

大政党の政治家諸兄は、大所高所に立って、この点を理解していただき、経過措置においても死に票が少なく、一定の得票率を得る小政党も生き残れる、比例代表併用制の採用を検討して頂きたいものです。

なお、本稿での定数700名への拡大というのは、道都庁制の導入により都道府県会議員がゼロになった場合の受け皿を兼ねたものであり、それ以前であっても3大政党制を目指した選挙制度の変更が必要だというのであれば、上記を参考にして、現行定数の範囲内で経過措置として実施されれば良いと思います。
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※(本書へのご意見は、佐野雄二  e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp へ

テーマ:政治・地方自治・選挙 - ジャンル:政治・経済



プロフィール

佐野 雄二

Author:佐野 雄二
佐野雄二プロフィ―ル】
1949年北海道生まれ。中大法学部卒。金融ジャーナリストを経て経営コンサルタント。行動するシンクタンク「王道日本」の会代表。
『聖書は日本神話の続きだった!』(ハギジン出版)、『日本人の脳と血液型のヒミツ』(たま出版)、『誰も知らない本当の宇宙』(同)を出版し、宇宙論、人類史、社会政策などで独自の理論を展開、JAXA(宇宙航空研究開発機構)や専門の学会で第1線の研究者らを相手に講演&研究発表を行っている。
月2回のメルマガを発行。http://ameblo.jp/ohdoh/ にて申込み可。
ご意見のある方は、e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp へ

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